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プロキャリア22年 クリニック総参加者数(国内外)約4万5000人

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  • texas20tech201981.jpg1981-1982 「レッドレイダース」テキサス工科大学 texas20tech20-1982.jpg1982-1983「レッドレイダース」テキサス工科大学 キャプテン
      • 小学生の頃はアメリカンフットボールや野球に夢中で、バスケットボールに目覚めたのは中学生になってからでした。チームメイト45名中1番ヘタ、背も低い子の中の一人でした。それでも諦めず高校でもバスケ部に入り、ランチタイムや部活後、週末など暇さえあればバスケの練習をしていました。ある日、同じチームで一番ジャンプ力があり、スター選手と言われていた同友のジャンプショットを止めたことがきっかけで、よりバスケが楽しくなり、それまで以上に練習をするようになりました。学校内外から実力を認められるようになったのは、高校2年生の時でした。
      • 自分自身が、長い年月の間練習を積み重ね上達した経緯がありますので、練習内容と練習量の重要性を理解しています。子供の頃に個々の能力を見限ることなく、それぞれのポテンシャルを伸ばし、足りないところを根気よく教え、長い目で信じ、見守ることが大切だと思っています。

  • showbasketball.jpgファーストレディ、ナンシー・レーガンと「シューティング・スター」のチームメイト。ドラッグ撲滅キャンペーン
      • 大学卒業後は、「シューティング・スター」というショーバスケットボールチームで世界中を周り、バスケの技術だけではなく、バスケはエンターテイメント(楽しむもの)だということを学びました。有名な元NBAプレイヤーの"Pistol" Pete Maravich
      • がチームに入り一緒にプレイしたのも有意義な経験でした。その後、メキシコのプロバスケリーグにて2年間プレイし、2年連続でオールスターMVPを受賞しました。メキシコではクリニックを開催すると、一度に200〜300人の参加者が集まり、大変好評でした。
      • 今、日本でスクールやクリニックに参加してくれた子供たちが、「楽しかった」と目を輝かせて言ってくれることは大変嬉しいことです。楽しみながら学び、バスケを好きになることが一番のスキルアップの近道ではないでしょうか。
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      • 1989年に、bjリーグ現埼玉ブロンコスの前衛である「マツダオート東京ブロンコス」に呼ばれ日本に来日してから、2003年に日本リーグ チーム初優勝後に引退するまで、プロ選手として日本で17年間プレイさせていただきました。その間、アシスト賞、得点王、リバウンド賞、スティール賞、敢闘賞、MVP、ベスト5、など数々の個人タイトルを獲得することもできました。通常、1シーズンから長くても数シーズンでいなくなってしまう外国人選手が多い中、ここまで長く日本でやってこられたのは、すばらしい友人との出会い、心暖かいファンの方々の支えがあったお陰だと心から感じています。
      • よく日本とアメリカのバスケの違いについて聞かれることがありますが、今までクリニックやスクールで出会ってきた日本の子供たちを見てきて、「ファンダメンタル(基礎)なスキルが不足している」ということを常に感じてきました。今、長年お世話になった日本への恩返しとして、子供たちのスキルアップのお手伝いをすることができるこの機会を心より嬉しく思っています。

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      • 2005-2006にはbjリーグ 埼玉ブロンコスにて、2009-2010では富山グラウジーズにてヘッドコーチとして務めさせていただきました。以前よりプロレベルの日本人選手とプレイしてきた中で感じたことは、アメリカ人選手と同等に戦えるだけのスキルはあるのに、「パワー」に欠けるということ。身体のサイズに負けない強さを身につければ、より強い選手になることができるはすです。
      • 夢は大きく持つべきです。私はあなたの夢を応援し、サポートする為にいます。自分自身を信じ、チャレンジし続けましょう。自分でも驚くほどの何かをきっと見つけることができるはずです。そしてそれは自信となって、今後の人生を切り開いていく力となっていくと信じています。